「人と組織による実践経営学」公開セミナー報告
人と組織による実践経営学~真の知的コンバット(SECIモデル)を実践するために~ 講師:貴志 俊法氏
2023年7月12日にEQパートナーズで開催した公開セミナーについて一部内容を抜粋してご報告致します。
セミナーの内容
・安部哲也(EQパートナーズ代表取締役)より
・ご講演
・自己紹介
・拙著「人と組織による実践経営学」について
・1. 偏見と共感のメカニズム
・フッサールの「現象学」
・では、なぜ人と人は共感できるのか?
・「主客未分」の状態を作ることで共感を生む
・2. 知的コンパットを活用した知の創出
・知的コンバットとは?
・知的コンバットによる知の創造
・3. 人材・組織開発事例のご紹介
・組織開発の考え方
・最後に(EQパートナーズより)
司会:堀井利江(EQパートナーズ)
安部哲也(EQパートナーズ代表取締役)より
貴志講師はパナソニックで経営に携わった経験をお持ちの一方、理論にもお詳しい。経営の実践と理論の両面ができる方は少ないです。今日は、そのような実践と理論が融合したようなお話になると思います。
また、貴志講師は、経営リテラシーだけでなく「人間力」も経営者にとって重要と考えていらっしゃいます。その点についても触れられるのではないかと思います。どうぞよろしくお願いします。
ご講演
自己紹介
松下電器(当時)に入社し、10年間中央研究所に勤務しました。もともとは技術者です。
転機となったのは1997年のアメリカ駐在。当時開発していたDVDディスクが世界標準規格になり、ハリウッド映画のDVDを作るため会社の立ち上げ(土地購入、人の採用、組織・制度作り、合弁会社・M&Aなど)を経験。苦労はしましたが経営について多くのことを学ぶことができました。
その後は経営職として約25年間、工場長、事業部長を勤めてきました。
拙著「人と組織による実践経営学」について
この度、4半世紀の経営経験で学んだこと、気づいたことを一冊の本にまとめました。本日は、その本「人と組織による実践経営学」のエッセンスをお話します。
15ほどの異なる事業を担当しましたが、結局のところ経営は「人」と「組織」が根幹であると思います。特に、イノベーションのように新しい価値を生むには「イノベイティブな人」と「イノベイティブな組織」が必要です。
拙著では、人と組織の行動のための行動メカニズムを解明しながら、実践のための手法をお伝えしようと試みています。本日は、そのフレームワークについて事例紹介を交えてご紹介し、リベラルアーツの要素も含め、下記3項目についてお話します。
- 偏見と共感のメカニズム : 偏見と共感がどのように起きるのか
- 知的コンバットによる知の創出 : イノベーションや新しい価値の創出が起きるための知的コンバットについて
- 人材・組織開発事例のご紹介
1. 偏見と共感のメカニズム
「多様性」、昨今はDI(Diversity & Inclusion)と呼ばれますがその実践は簡単にはいきません。
ここでは、その必要性や効果ではなく、そもそも「なぜ偏見を持つのか?」「なぜ異質なものに共感するのが難しいのか?」についてご説明したいと思います。
結論から言えば、
自我を持つ人間にとっては完璧な多様性やDIはほぼ不可能
です。DIは重要だが本来的には極めて実現が難しい。このことを意識することでDI活動をより腹落ちできるのではないかと思います。
フッサールの「現象学」
フッサールは20世紀初頭に活動した哲学者です。その最大の功績は、それまでの哲学は個人の存在や認識がテーマでしたが、フッサールは「人と人との関係」をテーマへ哲学に大きく変えるきっかけを作り、ハイデガー、サルトル、西田幾多郎などその後の哲学者に影響を与えました。
フッサールは「人がモノを見るということはどういうことか」という単純な現象を考察することから始めました。
(1)人が感じ、認識できるのは感覚器官に入ってきた情報だけである
人は目、鼻、耳などの感覚器官から情報をインプットします。りんごが反射した光が目の視細胞を刺激して、それを電気信号に変換して脳に伝えます。そのデータを過去の自分の記憶と照らし合わせてリンゴと認識するわけです。でも、横に回り込んで平面だったら本物ではなく写真と認識し、また持ってみて軽かったらブラスティックのレプリカとわかる。このように脳に新しい情報をインプットしながら認識を補正して新しい解釈をしていきます。このことから、
(2)人は全体像を見ているのではなく、切り取られた一側面を見ているにすぎない
ということがわかります。従って、より確からしい認識をするにはさまざまな方法で情報をインプットする必要があります。
脳はインプットされた一側面の情報を過去の情報と照らし合わせて解釈しているということであって、決して全体像ではない。脳で解釈した”りんご”と実体の”りんご”は同じモノではないのです。人間の認識とはこのようにとても危ういものです。あくまでも脳の勝手な解釈でしかありません。
このことを世界を見ることに拡張してみましょう。
私たちは、この世の中には宇宙があって地球があって国があって町がある、というように世界はこんなモノだと知っているつもりでいます。しかし、先ほどの話からするとAさんが解釈している世界とBさんが解釈している世界は同じではありません。なぜならAさんとBさんは生まれてから違う経験をしてきて、それぞれに違う情報をインプットし、それぞれに違う記憶で解釈してきたわけです。つまり自分なりの世界観をずっと構築してきました。
人の記憶は、その人の独自の解釈、つまり偏った見方の集大成ですから、人は偏見を持ってしまうのではなく、そもそも人は偏見の塊なのです。ただし、偏見と言ってもネガティブな意味ではなくニュートラルに「偏った見方」いう意味です。人はそれぞれ全く違う世界で生きている、と言えるでしょう。
では、なぜ人と人は共感できるのか?
ドラマを見ていて悲しくなり涙が出たり、スポーツを見ていて思わず体が動くような経験があるかと思います。あたかも自分のことのように錯覚してしまう、ということが起こっています。
これらは感動や運動感覚のような本能に近い低次の領域での共感と言われています。人間はもともとは自我がなく自分のことと他人のことの区別がつかない。その状態ではそのようなことが起きると言われています。
たとえば、生まれて間もない赤ちゃんは、一人が泣き始めると周りも泣き始める、という現象が起きます。赤ちゃんはまだ自我がなく自分と他人の区別がつかないためです。この状態を「主客未分」というのですが、この状態を人間は本来的に持っています。
これらは本能に近い低次の共感ですが、このメカニズムを拡張することで、戦略やLGBTQなどより高次な概念的なものの共感に応用できるのでは、と考えられます。
「主客未分」の状態を作ることで共感を生む
意図的に「主客未分」の状態を作ることで共感を生む、ということは、例えば、相手の世界観・価値観を理解して相手に腹落ちしやすいように工夫したり、相手に自分の言葉で他の人たちに何度でも語ってもらうことでいつの間にか自分の中でその方の世界観の一部として取り込んでもらうようなやり方が考えられます。
このスライドで例をあげていますが、他にも「主客未分」の状態を作るさまざまな方法が考えられます。実際、皆さんはこれらの手法を意識せずに使っていらっしゃるのではと思います。ただ、この「主客未分」の観点が少しでも参考になるのではと考えています。
松下電器に35年間勤めましたが、松下幸之助氏の経営理念を何度も叩き込まれてきました。その根底は「素直な心」。難しいことですが、それには、自分の中に多様な思考の軸や視点を持つこと、さまざまな価値観を理解できる土壌を作っておく事が大切ではないかと思います。
自分の中の多様性を高めること(イントラパーソナルダイバーシティ)が、素直な心で物事と接し、理解し、受容し、共感する。素直な心で物事を見るために、日々、新しい考え方、物事に触れることが重要と感じています。
「共感をうむ/するための能力」には、(1)コミュニケーション力、(2)多様な思考の軸、(3)実践知の3つがあり、これられを日々研鑽することが重要です。これはリーダーや全社員に求められる能力でもあります。
2. 知的コンバットを活用した知の創出
多くの企業では、経営理念・パーパス・ミッションなど自社の存在意義や使命を社内外に発信しています。その実現のために人や組織にどのような行動が求められるのか整理してみます。
情報処理プロセスとして整理すると、INPUT(左)は経営資源、OUTPUT(右)は「最適・最善な判断や決断」と「イノベーションを創出」する、となります。この2つは企業が持続的・サステナブルに、かつ成長していくために最低限求められる行動要件です。
とはいえ、変化が激しく先が見えないVUCA(ブーカ: Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity)の時代に正しい判断をすることは非常に困難です。例えば価格競争の中、他社が価格を下げてきた時の対応など、ロジックや科学的な手法だけで正解を出すことは難しい。
またイノベーションを連打する、ということも簡単ではないです。トヨタ様の「カイゼン」のように、小さくても新たな価値を生み出し続けていく実例はありますが。
INPUTとOUTPUTの間には、図にあるように、「人による情報処理」と「組織による情報処理」があります。
組織では、上司・部下・その他あらゆるステークホルダーとのコミュニケーションや相互作用による刺激を受けて、思考を深めたり、閃きを生んだり、という役割を果たしています。その中で人である個人は、(1)入力器官→(2)思考→(3)閃きをするために、「深く感じる力」と「深く考える力」を磨くことが大切です。
また組織も、相互の刺激を促すための環境づくりが必要です。それが、全人格をかけて皆で徹底的に議論する「知的コンバット」です。そのような場を提供することが組織の大きな役割の一つです。
ですので、言い換えれば、人材育成や組織開発は、個人に対しては「深く感じる力」と「深く考える力」を高め、組織としては「知的コンバット」ができる環境づくりをすること、といえます。
このように、INPUT(左)は経営資源から、OUTPUT(右)の「最適・最善な判断や決断」と「イノベーションを創出」までのメカニズムを整理できます。
知的コンバットとは?
組織として新しい価値を生み出していくために、相互に刺激を与え合う「知的コンバット」はとても重要です。
知的コンバットとは、互いの全人格を掛け意見を戦わせる議論のことですが、その前提には「相互理解」と「信頼関係」が必要になります。それがないと喧嘩になってしまいます。
HONDAで行われているワイガヤがそれに近く良い事例です。『ホンダイノベーションの真髄』という本を書かれた小林三郎(元経営企画部長)氏から直接お聞きした話ですが、経営幹部が3日間の合宿で徹底的に議論し、最後はカオス状態になるけれど、その中から良いアイディアが生まれてくるそうです。
異なった世界観を持つ人たちが相互に刺激を与え合うーその世界観が離れているほど刺激が強いと言えるのですが、その異なる世界観を受容できるためにコミュニケーション能力(多様な思考の軸、実践知)を磨いておく必要がある、と言えるかもしれません。
一橋大学名誉教授の野中郁次郎さんが提唱された、知の創造(SECI)モデルをご存知の方も多いかと思います。DICEモデルはそれをベースにした、より直感的に理解しやすいモデルです。
知的コンバットによる知の創造
はじめは(1)対話、から始まります。刺激を与え合い、(2)閃き、が生まれます。そのたくさんの混沌とした閃きの海の中から、一つの閃きが核となり一気にアイディアとして(3)結晶化が起こります。そのアイディアを人に語り「共感」を得て、仲間を増やしたり支援を得て「実行」し、その実践の経験から実践知を「体化」する。この(4)共感(Empathy)×実行(Execution)×体化(Embedding)のEの三乗は、人や組織を進化させながら、さらに新たな知を生むサイクルを回す大切なプロセスです。
イノベーションは簡単ではない。しかし、サイコロの1を出すためには6回振れば良い。この考え方で、イノベーションを生み出すためには、DICEサイクルをいかに多く回すかが重要です。組織の中が、いつも誰かが無限に多くサイコロを振ることができる環境づくりが、イノベーションを生み出すシンプルながら確実な方法だと思います。
3. 人材・組織開発事例のご紹介
拙著からの抜粋ですが事例をご紹介します。
今回お話した、深く感じる力、深く考える力、知的コンバット、コミュニケーション能力、多様な思考の軸、実践知などを日々研鑽していくことは、リーダーだけでなく全ての従業員に重要です。その考えのもと、私が塾長となり塾を開催していました。対象は20代~50代の役職者まで幅広く人事部に選出をお願いしました。
目的は下記の2つです。
(1)サイエンスとアートの両面教育 : 経営リテラシーと人間力を同時に高めてもらう
(2)知的コンバットの実戦演習 : 小さいながらもイノベーションを体感してもらう
活動内容としては、基本リテラシーとして早稲田大学の入山先生の「世界標準の経営理論」を毎月1章ずつ読破。目的はまず戦略理論の全体像を理解してもらうこと。
リベラルアーツ系は、古典では五輪書、哲学ではフッサールの現象学、芸術では西洋美術史などで思考の軸を増やすことが楽しいと感じてもらえたら、という狙いでした。
また、全体討議とその前の課題図書に関するグループディスカッションで、知的コンバットやイノベーションの創出を体験してもらいました。集まった時には誰も持っていなかったアイディアが議論の中で浮かんできたら、それは相互作用による小さなイノベーションです。狙いはDICEモデルを体感していただくことです。
メイン図書と課題図書は毎月A4一枚のレポートを文章で提出。言語化のトレーニングなのでパワーポイントは禁止です。これについては人事部と私の評価を行いました。工数はかかりましたが、受講生の考え方や人となりを理解する上でとても役に立ちました。
受講生のフィードバックシートには、受講生全体の中の相対的な位置づけがわかる各項目ごとの個人順位をつけました。また、これらのデータは今後の人材開発計画として活用されました。
組織開発の考え方
組織開発の考え方は
- 職制を通じた取り組み (a) 経営チーム (b)上司と部下
- 職制によらない取り組み
の二本立てです。
- 職制を通じた取り組み、は人的ネットワークの骨格の部分ですので半強制的に行いました。
(a)経営チームに対しては経営チームとして一枚岩になるように、(b)上司と部下については、部下が一人でもいるすべての上司・部下に対してその関係を強化ように、それぞれの事業部の中期的な方向性で知的コンバットを実施するというものです。
(2)職制によらない取り組み、については、(1)に比べると自由度高くフットワーク重視で行いました。ただ、やると決めたプロジェクトはトップの私がコミットし、提言を吟味し、採用したものは事業部全体として取り組む事としました。提言を受けて終わりではなく、しっかり経営活動に反映させることを意識しました。このことは新規プロジェクトを立ち上げる人のモチベーションにつながったと思います。
職制によらない取り組みについては、事業部メンバーの一人一人が何らかの形でいずれかの活動の主体的なメンバーになるように意識して進めました。工夫としては、活動を4つのカテゴリーに分類し、その位置づけを明確にすることで、一人一人が全体活動に参加しているという意識を持ってもらえるようにしました。
従業員満足度調査の結果は、初年度はグローバルに36あった事業場で順位が低かったのですが、活動を続けることで3年間で次第に上位まで上がりました。満足度の数値はグローバル的に強い組織と呼ばれる数値をクリアしています。
まとめです。人材開発はサイエンスとアートの両面で行うことが望ましい。また、組織開発を成功させるためには、トップのコミットメントと積極的な参画、徹底的に実施、確実なフィードバック、全員が参画している意識を持つ工夫、が必要と考えます。
あくまで私自身の経験ですので正解かどうかはわかりませんが、ご参考になりましたら幸いです。
最後に(EQパートナーズより)
企業がイノベーションを行い継続的に成長していくために、人と組織として何が重要なのかについて、人間の偏見と共感のメカニズムから紐解き、新しい価値を生み出す「知的コンバット」とそれを活用した知の創造モデル(DICE)の考え方、さらには貴志講師のご経験に基づく具体的な人材開発の取り組み事例についてご紹介いただきました。ありがとうございました。
EQパートナーズでは、皆様のご関心が高いと思われるテーマについて、随時、公開セミナーを開催しております。
今回のセミナーにて一端をご紹介しました貴志講師の研修を行うことも可能です。下記、その研修プログラムの例をご紹介します。ご希望等ありましたらお問い合わせいただけましたら幸いです。
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