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リベラルアーツは経営力の向上に役立つのか?(貴志俊法)

リベラルアーツは経営力の向上に役立つのか?

いつの時代も、企業や企業人には、答えのない中での判断を求められています。また、社会に対して、新しい価値を持続的に提供することを期待されています。しかしながら、現代のように変化が激しく、不確実で、複雑で、曖昧なVUCAな環境において、最適な判断や、新しい価値の創出は容易ではありません。

そのため科学的、論理的な思考力に加えて、人間力や教養が経営者に求められ、その1つの開発ツールとしてリベラルアーツの重要性が謳われています。本コラムでは、ツールとしてのリベラルアーツについて考えてみたいと思います。

リベラルアーツの有用な教材~アリストテレスの「ニコマコス倫理学」

リベラルアーツの教材としても有用だと考えられる、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」を紐解きながら、リベラルアーツの有用性について、実践を通じて議論してゆきたいと思います。

アリストテレスは紀元前3世紀の古代ギリシャの哲学者で、「ニコマコス倫理学」をご存じの方も多いと思いますが、本著において興味深いのは、現代のVUCA時代に重要だと考えられていることが、古代ギリシャの哲学者によって明快に語られていることです。

アリストテレスは人間における最高の善は「幸福」であり、そのためには徳という「力」が不可欠であると説きます。その徳(力)には2種類あり、1つが「知的な徳」、もう1つが「人柄の徳」であると考えます。

「知的な徳」には、大きく①知識、②原理を見抜く直観力、③最善の手段を考え選択する力、があるとし、また「人柄の徳」は勇気、正義、節制などがあるとしています。

ここで「人柄の徳」は、中間的なバランスの取れた行為を選択することが重要であり、例えば「勇気」は過剰だと「向こう見ず」に、不足だと「臆病」になってしまう。中庸(中間的)な行為を選び、それを習慣化することによって「人柄の徳」が培われる。このようにアリストテレスは考えました。


アリストテレスの考察 : 人間における最高の善「幸福」に不可欠な徳(=力)

  • 知的な徳
    1. 知識
    2. 原理を見抜く直観力
    3. 最善の手段を考え選択する力=「賢慮」
  • 人柄の徳
    • 勇気、正義、節制など
    • 中庸(中間的)な行為を習慣化することで培われる

さらにアリストテレスは、特に徳(力)の「実践」において重要となるのが、③の最善の手段を考え選択する力(以下賢慮と呼びます)だと説いています。また賢慮という徳(能力)と、人柄の徳(正義や勇気や節制など)とは、互いに密接に関係しながら培われると説いています。

「人間力とは何か?」への1つの回答~【賢慮(思考力)】と【人柄】

企業人、特に経営に携わる人には、科学的・論理的な思考力だけでなく、「人間力」が重要であると言われますが、アリストテレスの考察は、その「人間力」とは何か?という問いに対する1つの答えを提示していると捉えることができます。

「答えのない中で、様々な仮説を立てながら、いくつかの選択肢の中から選ぶ力」、と「人間力」がどう関係するのか?アリストテレスの主張を、人間力の一側面として、「実践力においては、賢慮と人柄が重要である」と解釈すると、多少なりとも具体的なイメージが湧くのではないでしょうか。

考えてみると、知識は全ての人に対して平等であり、必要とする誰もに与えられ、活用できるものです。現代の情報化社会では、人の知識の高位平準化が図れ、それは素晴らしいことだと思います。ただ一方で、同時に人の「均一化」も進むとも言えます。

その中で、他者に先んじてより最適・最善な判断(選択)や、新しい価値を生み出すために「人間力」が必要であるという命題を、それらを実践するためには、知識や感性などを駆使した「思考力」と、正義や勇気や節制などの「人柄」が必要だと置き換えて考えることで、納得性が増すように思います。

リベラルアーツの学び方

本コラムでは、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」を、(素人なので不十分ではありますが)理解するに留まらず、その本質を活用しながら考察することで、現代社会に求められる能力との関係性を議論すると同時に、リベラルアーツの学び方もご提案したいと思います。

リベラルアーツを学び、理解することを楽しいと感じる方も、七面倒臭いと感じる方もいらっしゃるかと思います。経営力の向上において、前者の姿勢は称賛に価する一方で、単に「理解することが楽しい」というだけでは、実は十分ではないのではと思います。

もしも学んだ知識を、思考の軸として活用できなければ、経営力の向上にはあまり役立たないのではないでしょうか。リベラルアーツを「手段を考え選択する能力」や「人柄」を培うためのツールとして、上手に利用するにはどうすれば良いか?について、一歩踏み込んで考えてみましょう。

哲学だけでなく、リベラルアーツには芸術分野も含みます。例えば美術館を訪れて、この絵が好きだとか、音楽のコンサートに行って、気持ち良かった。これはこれで情操を養うために価値あるものです。ただ絵画や音楽を「論理構造を持たない情報」として捉え、感じたことや気づいたことを言語化することも、1つの学習法だと考えられます。例えば点の集まりであるグラフや、数値の羅列である数表などは、それ自体は論理構造を持ちません。そのような非論理構造データから、自分なりの論理を見出す力を磨くのに有効だと考えます。

おわりに

あくまでリベラルアーツは、経営力を向上させる道具(ツール)であり、手段ではありません。例えば剣の道が手段であり、竹刀は道具であるのと同様です。ただ、単なる道具ではありますが、「リベラル=自由な」ですから、学んだ知識を元に自由に発想を広げる訓練を積むことで、経営力のみならず、人間力の向上を図ることができる、素晴らしいツールではないかと思います。

また最後に一言申し上げておくと、実践を通じて獲得される「実践知」こそが、ユニークかつ最強な「思考の軸」であることは忘れてならないと思います。実践に勝るもの無しです。

EQパートナーズ株式会社 執行役員・エグゼクティブ・コンサルタント・講師
元パナソニック株式会社 執行役員 貴志 俊法
貴志俊法のプロフィールを見る

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